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第3回ネットワークの中で気付いたソーシャルワーカーの仕事

 

 これまで大阪府M保健所での精神保健福祉業務の一端を述べながら、「ソーシャルワーカーは何をする人か」を考えてきたわけですが、今回は「何をする人か」ということは、周辺の活動との関係の中で決まっていくということを書きたいと思います。

痴呆性老人への初めての対策

 昭和58年、当時の厚生省は国による初めての痴呆性老人対策として、都道府県ごとに数か所の保健所へ「老人精神保健相談事業」を下ろしてきました。 事業のために、私は精神保健相談員が2人に増員された大阪府M保健所へ転勤になりました。  老人福祉施策として、在宅の寝たきり老人への対策は鋭意進められていた頃ですが、痴呆性老人についてはほとんど手付かずの状況でした。 痴呆になって介護できなくなったお年寄りは、しかたなく精神病院へ入院となることが、ままあったようです。

痴呆性老人の原風景

 それまでは全く浮かび上がってこなかった記憶が、ある出来事がきっかけとなって、にわかに目の前に現れる。 そんな体験をしたのも「痴呆性老人担当」となったときです。  昭和41年に精神衛生法(現・精神保健福祉法)の改訂により保健所に精神衛生相談員が配置され、地域における在宅の精神障害者へのケアが始まったとき、私は大阪府O保健所に初代相談員として配属されました。 今と比べると、何もかもが全く無いに等しい精神保健福祉活動の中で、精神科病院が唯一の関係機関でしたが、地域の関係者への挨拶回りで精神科K病院を訪ね、優しい院長の案内で病棟見学をさせてもらいました。

 ある場所まで来たとき、病室の様子が他と異なるのに気付きました。 窓が目の高さまですりガラスになっていて、中が見えません。つい背伸びをして室内を見てしまったのです。そこに2人の老女がじっと横たわっていました。目をつぶり、着物を着た2人には全く動きがなく、ハッとするくらい静かでした。「薬で動けないようにされている」と思ったものの、何か見てはいけないものを見てしまったように思われ、案内してくれていた院長に問うことができませんでした。 彼もまた、何も言いませんでした。まるで大きな魚が床の上に転がされているような感じがして、その衝撃がしばらく消えませんでした。「人が意思を無くしたらどうななるのか」などと考えたりしていましたが、知識や経験のない悲しさで、すぐに記憶から遠のいてしまいました。後になって気付いたのは、自分の仕事の範疇ではないと切り捨ててしまっていたということです。

 それ以来しばらく思い出すこともなかったこの光景は、その18年後、M保健所で痴呆性老人の担当となってから、しばしば目の奥で見、意識の端々に現れてくるようになりました。 その上、「対象ではない」とあっさり切り捨ててしまった自分を、ひとりのソーシャルワーカーとして許せない気持ちが湧いてきて、ひどく後悔しました。

  こうして、痴呆性老人担当の一員として動くときに、度々この原風景が浮かんできて、ドーンと背中を押されるような感じになっていったのです。