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第2回ニーズに応えるためにその2

保健婦の決断で拘束衣から逃れたBさん

 Bさんは54才。農業から工場勤めに転じ、そこで珪肺症になり、労災認定を受ける身となりました。 これをきっかけに呆けが始まり、次いで妻が心臓を患ったことが決定的要因となったらしく、45才までには全くの痴呆状態に陥ってしまったのです。 Bさんの妻が、病気が悪化したためにやむなく入院しなければならなかった期間、独りになったBさんは食事もとらず、家の中でじっと座り込んだまま過ごしていたらしいとわかったとき、妻は思い余って保健所を訪ねてきたのです。

 後になって、妻はこのときの心境を精神障害者家族会で、「保健所できちんと相談に乗ってくれなければ、夫を連れて死のうと思っていました。」と語っています。

 そこまでの妻の思いを、初対面のスタッフはキャッチすることはできなかったのですが、保健婦やソーシャルワーカーの働きはすぐに始まり、次の日にはBさんが緊急入院していた内科病院を訪ねていたのです。

 院内でも痴呆症状のため動き回るBさんは、拘束衣を着せられ、カテーテルまで入れられていました。本人と面会してこの様子を知った保健婦は、「カテーテルを外して下さい。本人が最も安定する妻の元へ返して下さい。」と主治医に頼みました。  保健婦とソーシャルワーカーは、Bさんが自宅に戻った後、地域の老人デイサービス・センターへ連れて行きました。 当時の制度では60才未満のBさんがデイサービスに参加することはできませんでしたが、施設と保健所のネットワークによって、Bさんは週1回、センターへ仮に受け入れられました。しかし、妻がしばしば通院しなければならなかったので、その間、保健婦が精神保健デイケアにBさんを連れて来ました。

 何度か老人デイサービス・センターのデイケアへ通った後、「何で、あんな年寄りばかり居る所に行かんならん?」とBさんは言いました。 そこで、妻とも相談して精神保健デイケアのみに通ってもらうことにしました。Bさんはよく働き、とても穏やかな人柄の方でしたので、作業(仕事)のある精神保健デイケアにはすぐに馴染みました。 作業室からふらっと外へ出て行ってしまう行方不明事件は、Aさん、Bさん、Cさんに共通した難問ではありましたが、人手さえ用意すれば、Bさんも落ち着いてその場にいることができた方なのです。 Aさんと同じ理由で、Bさんも家の外へ出る回数を週3日から4日に、そして5日に増やすために、精神保健デイケアと併せて痴呆性老人作業グループに入り、作業所へ移っていったのです。